スワミニ便り「新年への祈り」
2021年1月1日

ジェイ・グルデーヴ!
皆さん、明けましておめでとうございます。
私が今回帰国してから、早くも一年が経とうとしています。
グルジは今から1年~2年前に、これから先20年間、私たちにとって大変困難な時が来る、とおっしゃいました。
20年先というと、私はもう神様に召されているか、あるいはまだここで頑張っているかもしれません。
でもとにかくこの残された時をどう生きていくかは、とても大切な問題です。
ひょっとしたら、私はもうグルジに会うこともないかもしれないし、そうなると、もう私を慰めたり、元気付けてくださることもないかもしれません。
そこで大切になってくるのは、グルジを、またナーラーヤナを自分のハートに持つことです。
これはあなた達皆にとっても同じです。
これはグルジがいつも繰り返し言っている、神様との親密な愛の関係です。
もしあなたが神様/ナーラーヤナを想像しにくかったら、そこにグルジを置き換えればいいのです。
これは私がこの道に入ってまもなく、グルジご自身が教えてくださったことです。
大切なのは、あなたが一度これと決めたら、もう決してそこから離れないことです。
神様には揺ら揺ら、ぐらぐらは通用しません。
つまり私たちの生きている世界では、非常に多くのものが揺ら揺ら、ぐらぐらしているからです。
私は周囲の人々が言う神実現に関しては、言葉を慎むべきだと思っています。
これは私個人の思いなので、誰もがそう考えなくてもいいのです。
私にとって大切なのは、誠実に、集中してサーダナを行なうこと、神に祈ること、神にすべてを委ねること、そしてできる限り、問題を抱えて困っている人々に心を向けることです。
そして神実現はその後のテーマ、グルジの言う、グルの恩恵、神の恩恵です。
私たちはこの恩恵を授かるに相応しく、自分を準備しなければなりません。
そしてそれをできる限り正しく伝えて行くのが私の役割です。
私は例年のように、新しい年のモットーを決める前に、まず自分自身を見つめてみようと思います。
これは勇気の要ることです。
わかっていても、変えないのでは意味がありません。
前年の「限界を作らない」「真実を話す」は何処まで実行できたでしょうか?
今年は多分「今の自分を知る」かもしれません。
これがわからなければ「真実の自分を知る」という所へ至らないからです。
私は毎晩テンプルに入り、グルジの前で一日の反省をするように心掛けています。
これは大変効果のある内省方法です。今の自分の状態、また何をどうすべきかなどが次第に明確になってくるからです。
私は2012年の秋に初めて娘とモーリシャスへ行きました。
もちろんグルジに会いに行ったのですが、飛行場に着いて、まず驚いたのは、そこにグルジがいたことです。
ぺぺさんと今のスワミ・アニルッダもいました。
彼らの説明では、事件が起こって、急にドイツへ帰ることになったということでした。
これについては、今日に至るまで何があったか、私にはわかっていません。
とにかく私たちの3週間のモーリシャス滞在は、グルジなしに過ごすことになりました。
企画されていたダルシャン、サットサンガなどもすべてキャンセルされ、その後観に行ったマリア教会、シルディ・サイババの寺院も永久に閉ざされていました。
私が何故これを皆さんにお伝えしたいと思ったかについては、下記のようなわけがあります。
それから2週間位して、娘と首都、ポートルイスの町を歩いていると、グルジの従兄弟のラビが家族と市場の近くを歩いているのに出会って、グルジが従姉妹の結婚式だけに戻って来るということを聞いたのです。
結婚式は4日間続き、それはグルジのアシュラムをはじめ、近くの寺院、ディスコなどで祝われました。
そしてグルジがまたドイツへ帰ることになった5日目の朝、皆はアシュラムの前に並んで、
グルジが出発するために、出て来るのを待っていました。今回グルジは単身で来ていました。
この時、皆はグルジがアシュラムに入って行く時、おみ足に身を伏せていましたが、私にはそれができなかったので、何となく名残り惜しい気持ちでいました。
すると娘が「少し中へ入って、入り口の所で待っていなさいよ。グルジはあそこから出て来るのだから」私はあまり気が進まないままに、皆に見られているのも承知で、そこに立って待っていました。
しばらくすると、グルジが出て来て、入り口から真っ直ぐに中を覗くと、廊下の一番奥にある洗面台の前で、髭を剃り始めました。
私は「ふーん、グルジでも髭を剃るんだ」と思って見ていました。
それが終わるとグルジは側にあるオフィス風な部屋に入って行き、しばらくすると、もう一人別の従兄弟が出て来て「グルジが呼んでいる」と言ったので、私はそのオフィスらしき部屋に入って行きました。
するとグルジは「何かあるのかい?」と訊いたので、私は「いいえ、ただおみ足に触れたかったけれど、皆の前で恥ずかしくてできなかったのです」と言うと「何だ、そんなことか」という表情で、両足をポンと私の前に出しました。
私はどうやってグルジのおみ足に触れたか、もう覚えていません。
とにかくそれが終わって部屋を出ようとすると、グルジは小さな紙袋から、バナナ・パンの一片を取り出して私の手に置き、一人で食べるようにと言いました。
私はそれをありがたく両手の間に合わせて持って、部屋を出ました。
そして外で待っていた娘にそのパンの一かけらを渡し、後は自分一人でゆっくりと味わって食べました。
こんなに美味しいパンを食べたことはなかったし、私は今でも、それを自分の身と心と魂で受け取ったと思っています。
グルジが返事をせず、私に知らん顔をする時は、私の成長が促されている時です。
いつもそうでしたし、今でもそうです。
私はこれをありがたく受け入れることにしています。
私の反応が早ければ、グルジの方でも、それに合わせて、何ごともなかったように、普通に接してくださいます。
それがグルジの教えであり、私の学びです。そしてこの学びを皆さんにお伝えするのが、私の役目です。
長くなるので、この辺で終わりにしたいと思いますが、私はこれからもベストを尽くして、皆さんに接していきたいと考えています。
すぐに対応できない場合は、どうぞお許しください。
それでは今年もどうぞよろしくお願い致します。素晴らしい一年をお迎えください。
スワミニ・ダヤマティ
2021年 元旦